003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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渡辺芳子(わたなべ・よしこ)一八八七(明治二〇)~一九七〇(昭和四五)賛助員。旧姓野沢。渡辺福三郎とたまの長男和太郎の妻。神奈川県立高等女学校一期生、一九一二年卒。【団体註】※38ページの「加盟団体」記載順仏教婦人会明治時代初期にはキリスト教に押されて振るわなかった仏教が一八九〇年代の復古主義の時代になると、真宗教団を中心に『婦人教会雑誌』、『婦人教育雑誌』などを創刊して婦人教化活動に乗り出した。仏教の教義による婦人の徳性の涵養を前面に打ち出し、集会内容の中心に高僧の法話・説話の聴聞をすえ、上流家庭の女性を主な対象として、各地に仏教婦人会を名乗る団体ができた。横浜にも教派の異なる仏教婦人会が複数あるが、横浜連合婦人会に団体加盟しているのは、理事の上郎やすが関わっている仏教婦人会と思われる。『横浜貿易新報』(一九二九年五月十七日)に「仏教婦人会成る」の見出しで取り上げられている。市225人物・団体註


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