003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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が行われることがわかり、祝意を表するために家庭製作品奨励会が母体になって「旗の日会」を結成。「全市婦人を打って一丸」となり、「わが横浜婦人界に一新紀元を画せるものに」なったとする。しかし、記載されている物故役員の経歴をたどってみると、すでに明治時代中期から立場の異なる女性たちが合同して大小さまざまな団体を作り社会活動を展開していることがわかる。団体の発会順では横浜婦人慈善会、横浜奨兵義会婦人部、横浜家庭製作品奨励会、御大典奉祝旗の日会となるが、年齢も階層も宗教的立場も異なる人たちが交流し、協力しあうことでゆるやかなネットワークを作っており、横浜独自の動きと思われる。そして関東大震災で市域の大半が被災するという未曾有の危機に直面し、救援に駆けつけた人びとが、それまでの経験と知恵を生かして復興に尽力するだけでなく、横浜連合婦人会を結成し、婦人会館を建設、運営した、という流れになる。そこでまず、横浜連合婦人会へとつながる横浜の女性たちの集団活動の歴史を見ておく。団体は、キリスト教系の女性が中心になったものと、実業家の妻たちが合同したものがある。なお、登場人物の名前については資料によって表記が異なる。たとえば渡辺たまは、本冊子では玉(玉子)、多満(子)、たまなどの表記があるが、本稿では「たま」に統一する。他の人も、本冊子の記述とは異なる表記をする場合がある。121「横浜連合婦人会館史」解説


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