001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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キリスト教と女子教育横浜の女性の歴史において、明治初期に来日した女性宣教師がもたらした影響は大きく、横浜連合婦人会のメンバーの多くはこれらのミッション・スクールの卒業生や、キリスト教徒でした。女性宣教師たちは、どのようにして伝道に訪れ、教育活動を広げていったのでしょうか。横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる601858(安政5)年、江戸幕府は日米修好通商条約を締結し、居留地に住む外国人の信教の自由と礼拝堂の建設を認めました。居留地以外での布教は認められなかったものの、布教の足がかりを得た欧米諸国のキリスト教各派は、日本への宣教師の派遣を決めます。1859年横浜の開港と同じ年には、ヘボンが妻のクララとともに来日。その後も次々と来日した宣教師たちは、日本語習得と、聖書の翻訳を行います。のちにフェリス女学校を創立したキダーも、1869(明治2)年、日本への最初の9番のヘボン塾(妻のクララ独身女性宣教師として3が教える男女共学の私塾、明治学院やフェリス女学院の前身的存在)を引き継ぎ、英語の授業を始めました。1871年には、プライン、クロスビー、ピアソンらの女性宣教師5才で、来日。1870年、居留地3


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