001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


>> P.57

することとなれり。外国婦人側においても有力なる日本婦人の団体と相結び、直接交友を結び、その長所、美点を窺知し得るの機会に恵まれたりとして、非常なる喜びを表せり。ここにおいて更に具体的協議を進めし結果、一年二回大会の意味にて互いに招待を交換し、友好を計ることとなりしが、同大会にあたっては互いに最善の趣向を凝し合い、極めて有意義なる会合を催せしが、山県知事時代、同夫人の提案により愛国婦人会よりも参加したしとの意向を容れ、同時に時の大西市長夫人を会長とする自助会をも加えて、新たに二婦人団体を参加せしむる事となりしが、日本婦人側の計画、交渉、経費等の一切は従前のごとく横浜連合婦人会の責任において実行することとなりたり。その後同大会における、外国婦人側招待の場合は、会費を徴することとなりしも、その不足額は横浜連合婦人会と愛国婦人会において負担することに変更したり。また渡辺玉子夫人の会長辞任後は、大西市長夫人の横浜市連合婦人会長就任により、自助会の参加は取止めとなれり。同クラブの会合は、かかる経緯を経たるも、終始極めて円満に年を重ね、事変勃発後も、なお継続し来れるが、遂に時局に鑑み中止することとなれり。ここにおいて横浜連合婦人会が、横浜なる国際都市の特種的立場よりして、その事業にふさわしき国際婦人の社交機関に終止符を印するに至れるも、その多年にわたる国際的友好と理解尽瘁さる功績は永く没すべからざるものと言わざるを得ず。ちなみに国際婦人クラブにおける外国婦人側の会長は左のごとし。57横浜国際婦人クラブ


<< | < | > | >>