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横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる14横浜市連合婦人会の記録作成にあたり、同会の母体たりし財団法人横浜連合婦人会の由来を明らかにするの要あり。当時関係者の一人たるのゆえをもって該記録収集の委嘱を受けたるも、古き記録はすでに四散して求むるに由なく、ただ自らの単なる記録を辿りてその概要を記するのほかなく、従って或いは事実と多少の相違なきを保しがたく、万全を期し得ざるは甚だ遺憾とするところなり。そもそも財団法人横浜連合婦人会の事蹟を記述せんとせば、勢い同会と姉妹関係を有する家庭製作品奨励会の業蹟に言及せざるを得ず。すなわち同奨励会は今を去る三十年前に創設せられしが、当時東京においても同名の会が組織せられ、相互連絡を保ちつつ事業の発展をはかりしが、東京の同会は瓜生海軍大将夫人を会長とし、横浜の同会は渡辺玉子夫人を会長に推せり。両会はいずれもその目的とするところは、当時世の物議を生ぜしいわゆる有閑階級と目せられし中流以上の家庭婦人を動員して家庭の労作に従事せしめ、家庭の生産をはかる一方、各家庭に死蔵せらるる不用品を持ち寄りて互いに交換し、有無相通じて無駄なき暮らし方をなすをもって本旨となせり。