001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる2横浜には、一九二三年の関東大震災の直後から、壊滅的な街や被災者を直視し救済に努めた女性の団体がありました。「横浜連合婦人会」です。一九二七(昭和二)年には、全国に先駆け「婦人会館」を紅葉坂の一角に建設。時代の要請に応える精力的で多様な活動は、一九三五(昭和一〇)年まで続きました。特筆すべきは、活動の足跡について「横浜連合婦人会回顧録」として、また、会長渡辺たま氏の慈愛に富むリーダーシップの発揮について「渡辺玉子刀自景仰録」として、当時の会員たちが自筆の記録を残していることです。実業家の夫や行政の協力を取り付けながら主体的に、今で言うソーシャルビジネスとして、国内はもとより海外からも広く集めた資金を原資に、大震災後、女性たちが結集し、力強く活動を展開しました。当時の貧困児童の栄養改善から生活自立及び無駄のない暮らしの工夫、国際交流並びに国内外へ支援寄付活動を行ってきた様子が手にとるように伝わってくる貴重な記録です。さらに、女性たちが自ら創出した資金の半額は、会員の強い希望により横浜市図書館の建設費用として寄付されたことも記録から判明しました(ちなみに横浜市中央図書館は二〇二一年に創立百周年を迎えています)。その後戦争の気配を察した渡辺たま会長は、会の解散を決意。潔く会の多額な全財産を横浜市へ寄付されたことも記されています。これらの記録原本がこのたび、男女共同参画センター横浜南の古いキャビネットから発見され


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