001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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財団法人横浜連合婦人会大正十二年九月一日の関東大震災によれる当横浜市の惨状は真に語るに言葉なく罹災民の窮状は、我等繊かよわ弱き婦人をして遂にこれが救済事業のために団結して立たしむるに至れるなり。即ち同年十一月二十五日、市内二十有余の婦人団体が新たに横浜連合婦人会なるものを組織して婦人の立場より救護及び復興事業に当たらんことを期す。まず食品衣類の配給より失業者の救済、児童の栄養品給与、市内の清潔衛生等に関して、極力奔走、宣伝努力したり。また罹災民の慰安、復興に向かいたる市内中学校教育奨励の問題等にも心を用いたり。しかるに本会使命のあるところは、唯々復興事業に止らず、家庭改善の問題より、婦人の智的精神的向上、更に進んでは社会福祉の増進、婦人に関する産業奨励など益々重大なるを感じ、ここにこれが具体的基礎事業として、婦人会館の設立を計画して、各方面に醵金を募り、大正十五年十一月起工し、昭和二年五月五日をもって竣成を告ぐるに至れり。じらい来同会館を中心として、各方面の事業に努力尽瘁し来りしが、なお強固なる基礎の上爾19財団法人横浜連合婦人会


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